幸せになってほしいSnow Manを幸せな気持ちで応援し続けたい
鬼気迫る顔で『ひらりと桜』を踊る佐久間くんをみた南座公演から約2ヶ月、
晴れやかな顔でまさに桜のように舞う佐久間くんを見た瞬間に流れた涙は、間違いなく安堵の涙でした。
六月に入ってしまいました。
相変わらずのノットタイムリー綺麗事ブログです。
私にとって、『滝沢歌舞伎ZERO』新橋演舞場公演が、はじめての9人のSnowManとの対面でした。(横アリはお留守番、配信組です)
すこし汗ばむくらい天気のいい日で、春の陽気というより、初夏の風のほうが感じられた、5/11の東京。
会場にはすでに散ったはずの桜が所狭しと飾られていて、過ぎ去ったはずの春を感じました。
見慣れた滝沢歌舞伎の提灯。見慣れない数のステフォのサンプル。色の増えた鏡の桜。知っているようで知らない、新しい滝沢歌舞伎。
まず公演全体の感想としてですが、
南座の時も思いましたが、1幕の印象として、『女性からの目線』が個人的には一つのプログラムの軸となっていたのかなと思います。
一番初めの滝沢歌舞伎のテーマも、女性のコーラスが入っていたし、総踊りも女性がボーカル。
それはすなわち、誰か一人の大切な人ではなくSnowManを愛する人たちすべて(ファンはもちろん、滝沢社長はじめ仕事上SnowManと関わる人々も)の姿が重ね合わされたものだったように思います。そこで取られたのが圧倒的多数で、客席のほとんどに当てはまりやすい『女性』という目線。
何かを祈るようなコーラス。
もはやちょっとくどいのでは、と思うような大量の桜吹雪。(いや、滝沢さん昔から降らしものの量えげつないですけどね)
桜吹雪にまみれながら、
"ひらりきらり 暁を踊れ 継ぐる夢のひとひらは
天を穿ち咲き誇る意思 照らす華 闇夜を裂く"
なんて歌うんです。
日本を代表する演出家である、故 蜷川幸雄氏がご健在の頃、アイドルについてこんなことを仰っていました。
『トップを走るアイドルっていうのは、言ってみれば大衆の欲望の象徴みたいなもんで、何百万という人の欲望をその人を通じて果たしている』
桜は、舞い踊る彼らの象徴ではあるけれど、SnowManの周りに舞い散る桜は、SnowManに宿命づけられた人々の欲望でもあるのかなと思えたんです。
アイドルとして生きることを決めた彼らに、きっとこれからずっと付いて回る、人々の欲望。しかも、それは重荷ではなく力に変えるべきとされるもの。
ときにまみれながら、ときに同じように軽やかに舞いながら、晴れやかさの中に存在し続けることがアイドルであることなのだ、というようにみえました、、めちゃくちゃな深読みですみません。
でも、だからこそ、南座公演のときのような鬼気迫る顔ではなく、晴れやかな笑顔で踊ってくれた佐久間くんを、そしてSnowManを見て、一番に感じたのは安堵だったのです。
アイドルとして生きることを、選び続けてくれる姿を見られてよかった、と。
また、ZEROと銘打たれているとはいえ、新しいスタート、だけがテーマでなかったようにも思います。晴れやかな中に9人だれひとり、決して順風満帆ではなかったこれまでのアイドル人生においての葛藤も描かれていたと思います。とくに組曲なんてまさにそうではないでしょうか。
暗闇の中で、立ち止まることと死は同じかのように踊り、踊り、ひたすらに踊り続けて、掴みたいものはいつも、手が届いた先の少し手前で掴めずにいる。佐久間担だからかもしれないけど、組曲の最後は本当に苦しかった。
でも、皆が同じ方向を向いて、まだ掴めない何かの方向を見つめる最後。
彼らに待っているのが決して暗闇だけではなく、一筋のひかりが見えたことも、ZEROというスタートが表すものだったのかもしれないとも思いました。いや、そうであってほしい。
それから、新橋公演で増えた演目として佐久間担としては語ることを避けられない『Maybe』について。
佐久間くんとラウールくん。
踊ることに対して、きっと人一倍の気持ちと自信がある2人だと思います。そんな2人の、パフォーマンスとパフォーマンスのぶつかり合い。白と黒のコントラスト。
そんななかで、ラウールくんは、常に誰かを追いかけているように見えました。届きそうで届かない、何かを掴みたいのに、掴みきれないようにみえ、
佐久間くんは、何かを慈しむかのように、それでいて何かを振り払うように、苦しみ、でも何かを手放すことができないでいるようにみえました。
10の歳の差を持ちながらも、きっと、これから長い間、沢山の時間を過ごす2人です。
パフォーマンスにすでに定評がありすぎる佐久間くんと、秘められた可能性の塊で、その片鱗がすでに見つかり始めているラウールくん。きっとこれからも、何か凄いものが見られるんじゃないかと思わせてくれる2人。
そんな2人が、SnowManというグループの中で、佐久間くんはラウールくんにとってのそびえ立つ壁であり続けてほしいし、
ラウールくんはラウールくんで、これから先ずっと佐久間くんにとっての脅威であってほしい。
それがわたしの『Maybe』での感想でした。
締めくくりの総踊り、『花鳥風月』も、歌詞がうる覚えなのでうまく言えないんですが
(少し他の方の記憶もおかりしました)
『信じて感じて 花はただ儚く散って
結んで解けて 空を自由に舞って』
わたしには、誰かに願うように歌うように聞こえました。むしろ、ファンの声そのままやんとその場で思った記憶があります。
桜に限らず、花というものは『散り際まで美しい』
とされやすく、決してプラスの要素ばかりが良いものとされるものではないと思っているのですが、その花にたとえられるSnowManが、いつかは散るその日まで、その場で(アイドルとして)咲き続けることを決めた決意が伝わってくる演目だったように思います。
ただひとつだけ、目黒くんのメイン演目どこ!!!!!???????新橋もないの!!!!!!????その白塗りここだけかいいな!!!!!!!とぷんすこしましたがね!!!!!!←
だからこそ、明るい雰囲気で基本は進む2幕がとても楽しかったです。犬猫を蹴るシーンとか、思うところもたくさんあったけど、最後の水の演出がすごく楽しくて、代わる代わるメンバーが顔を出すのが可愛くて。
あと、悪役康二くんだいすき芸人としては今回の役どころ、ほんとたまりませんでした。あのねちっこい、いやらしさ満開の台詞回しがだいすきなんですよね。
官兵衛が通路を走り抜ける風もよかったです(なんの話)
でも個人的に今までの康二くんの役で一番好きだったのは日生スノスト少年たちのときのいい看守役なので、康二くんの可愛さ大爆発な役も早く見たいです。
(向井看守が室看守長に「かんしゅちょーー!!!!!!!!(かんしゅちょう、ではなく、ちょー)」
と言って走りこんできた可愛さを一生語り継ぎたい芸人)
最後のWITH LOVEはもう、胸がいっぱいになりました。
まっすぐ未来を見つめるような9人の視線。先頭としての岩本くんの顔。この歌に触れるのは初めてのはずなのに、大切に何かを紡ぐように歌うラウールくん。
冬から春にかけて、めまぐるしく変わった環境と、味わったことがないであろう苦しさの先に、すこしでも明るい未来が彼らにみえていてほしいと思いました。
かけがえのない時間を共に生き、いつも心は繋がっている、そんな9人でありますように。
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ここからは観劇の感想以外の話をします。
抵抗のある人もいるかもしれない内容であることを先に謝っておきます。特定の誰かを指して言っているわけでもありませんので悪しからず。
のんきにすの担やってるから気にすんなよ、とブログに書いてからすぐ、SnowManの担当をしているのが普通にしんどくなりました。
アイドルにとってアイドルは人生であり生業ですが、それを支えるファンにとってアイドルとは趣味の域を超えません。
昔では考えられないほど、彼らを応援するためのコンテンツが増えましたが、そこに対しては純粋に好きだから見たい、という気持ちがあってなんぼなのかなと個人的には思っています。
どれをどれだけ摂取するかも、それぞれだと思います。
そうでなくちゃやってられない、とも思います。必要経費と時間はそれぞれにちがう。
SnowManの増員に伴って、わたしが一番しんどいなーと思ったのは、いままでの応援のあり方を悔いる人があまりにも多かったことでした。
もっと声を上げていれば、もっとYouTubeを再生していれば、もっと雑誌やグッズにお金を出せていれば、など。
たしかに、それらはすべて彼らの血と肉になり、人生を決める大切なものです。わたしも思わなかったわけではありません。
でも、そこを否定してほしくなかったのです。ぬるま湯に浸かっていると言われたらそうなのかもしれない。でも、本人たちもそんなこと思って欲しいはずがないとも思うし、そんなに過去の自分のあり方を否定されたら、SnowManを応援していた自分さえも否定しそうになる。
それから、過去の否定から新たに応援のあり方の変えた人の中で、
「もうあんな想いをしたくない。」
の気持ちが少し形を変え、グッズ売り上げや再生回数など、数字にかかわる何かが起こるたび、それが他より足りなかったたび、
「またあんな想いしたいのか」
というネガティブな形での呼びかけが少しずつ大きくなっていくことを感じてしまったとき、いやそれならSnowMan応援すんのしんどいわ、って思ってしまったのです。
何もなかった頃から考えれば、贅沢な悩みだと思います。
でも、やっぱりアイドルって趣味なんです。生活を豊かにするものであり、間違ってもわたしたちは彼らの株主でも養うひとでもない。
呼びかけをすること自体を否定はしていません。それができる人はすごいと思うし、わたしもそれに動かされることも多々あるからです。
ただ、言葉のチョイスが間違っているのは重々わかっているのですが、アイドルを守るためにネガティブに、なかば脅しのように呼びかけをするのは逆効果では、、と思うことも多々ありました。
なにが厄介って、その人たち一人一人の根っこは彼らへの「だいすき」であること。ファン同士での攻撃になるんですよね。明日があるようでない、安定供給のないJr.担だから余計かもしれませんが。実際6人としてのSnowManの明日はもうないわけだし。
ただ、公式のルールは守るべき義務だけど、
応援のさじ加減、仕方にルールはありません。何をどれだけ摂取しようが、それはそれぞれの自由。
ファンが頑張らなかったから、SnowManは形を変えてしまったんだよ。という言葉は自分に対していうのはそれはその人の勝手ですけど、
仮に他人にそれを言っていいとすればそれは本人たちだけだと思います。口が裂けても彼らは絶対言わないけど。だからと言って代弁もしてはいけないと思います。
過去の記事でも書きましたが、彼らが言葉にしてないことでファンがこう思っているはず、と想像するのはすべて「こう思っていてほしい」と思っているだけの言葉だと思いますので。(冒頭であれほど演目の深読みしといてって感じですけど)
素直な言い方をすれば、
「好きな時に好きなだけ応援させてくれや」
でした。
わたしがSnowManにかけてるお金ってきっと多くないんです。かさばる雑誌は本当に欲しいものだけをたまに買うだけだし、グッズも写真もそんなに買いません。横アリ行ってたとしてもあの使えなさそうなマスク買ってた自信もないです。神戸からの交通費もかかってるし、それこそ個人ステフォも10種全部は買えませんでした。売り場で、500円のステフォ三枚で何日ぶんの食費?ってなりました。
いや、まああれですよ、
わたしが稼げるヲタクだったら!!!!!石油王だったら!!!!!!SnowManもさくまくんもごめん!!!!!!でもごはんは大事だ!!!!!!!!帰ってYouTubeみるね!!!!お金ないけどウルトラギガモンスターではあるんだわたし!!!!とは思いました。はー、お金はなんぼあってもたりませんね。
そんなこと言って、これでSnowMan自体が消滅して、誰かがアイドルをやめることがあったとしても同じことが言えたのかって聞きたくなる方もいらっしゃると思います。
申し訳ないですが、答えは「YES」です。それが誰であっても。さくまくんでも。
塵も積もれば山となるように、仮に一人一人のあり方が彼らの人生を変えていたとしても、わたしは彼らの人生まで責任負えないからです。最後に決めるのは彼らだし、アイドル、とくにジャニーズのアイドルが下す、アイドルをやめる決断は彼のみぞ知ることが多いと思っているからです。もっといえば、わたしはひと1人の人生背負っているなんて烏滸がましいこと、言えません。
もちろん、わたしが言っていることも、人の応援の仕方に口出すひとつになっているかもしれません。難しい。。
でも、先述したようにアイドルでいることを選び続けて、すてきなパフォーマンスをしてくれている、誰より幸せになってほしいSnowManだからこそ、こちらも幸せな気持ちで応援したくて、応援しているどの瞬間も幸せで満たされていたくて、
もし、同じように思うすの担の方(に限らずですが)がいれば、アイドルの応援ペースは自分で決めていいと思えるきっかけになればと思い、ブログに書き起こした次第です。
もちろん、わたしの言葉に力はないんですけどね。綺麗事だらけだし。
とにかく、長い冬だったけど、素晴らしい春でした。
これからやってくる夏も、秋も、そして次の冬も春も、SnowManと SnowManのファンにとってすてきな、幸せなものでありますように。
(@8ppier)
マシュマロはじめました