アイドルは別腹

おなかがいっぱい、っていつ来るんだろう

24魂のDial Upを見てやっと、7WESTから卒業できました。

神山智洋くんがだいすきで、7WESTがだいすきでした。

 

 

2012年の、少年倶楽部in大阪。

重岡大毅くんの笑顔と、少女マンガからそのまま出てきたような姿の小瀧望くんにころんと堕ちて、その年の冬松竹に足を運んでいました。

 

 

座席は、3階席、一番後ろの最上手。ほぼ確実に、誰よりステージから遠い場所。

だけど「二人の花」を歌う神山くんを見た瞬間、もう神山くんしか見えなくなっていました。

奇しくもその時の神山くんのパートは、当時担当だった丸山くんの部分。

大倉くんのパートを歌っていた藤井流星くんは、わけが分からないほどのきれいな男の子だったけれど、その流星くんを差し置いて、神山くんしか目に入りませんでした。

 

Spirits!!』で見た、神山くんで止まっていました。(初期すぎる)

横山くんに肩を組まれて、ぎこちない笑顔を浮かべながら「Best friend」を歌っていた小さな男の子は、パフォーマンスの鬼かと思うような男の子に成長していました。

そのあとからもうずっと、神山くんしか見えていませんでした。

終演後、私は誰を見に来たんだっけ…?となったことを今でも覚えています。

 

それから松竹に何度か行きましたが、あれだけ多くの子たちが広くはないステージに立っているのに

神山くんしか目に入りませんでした。神山くんさえ見られれば!とすら思っていました。

 

だけど、神山くんのすぐ隣で、やっぱりあの素敵な笑顔をたやさず、くすぐったくなるような甘い声でしゃべる重岡君と

生まれ持った容姿が才能そのものみたいなものなのに最強の天然ってどえらいスペックもってる流星くんと

少女マンガの住人(名前も実際の漫画からお姉さんがつけたというエピソードまである)のような見た目を持ってしながら普通のやんちゃな男の子の小瀧くんのことも

どんどんどんどん好きになっていって、

気づけば、7WESTというグループそのものが大好きになりました。

その前のことはわからないけど、わかるはずもないので仕方ないけれど、

とにかく、そのときの私にとって、彼らは最高の男の子たちでした。

 

そんな4人が、4人でデビューしてくれることが、願いでした。

誰も欠けることなく、誰も加わることもなく。

7WESTという名前がついている以上、難しいことだろうけど

あの事務所ならそのへん何とかするでしょと都合よく考えてしまうほどに

私は4人でデビューしてくれることを願っていたのです。

 

 

ジャニーズWESTがデビューして、1番の違和感は

この7人でと腹をくくった時期が、どうしても、どこにも結びつかなかったことでした。

 

照史くんと淳太くんは、B.A.Dとして

濱田くんは、Veteranがいてもやっぱり、"濱田崇裕"で

そして、7WESTがいて。

同じグループの兄組でも弟組でもない、

関西に、Veteranやなにわ皇子、Kinkan、ほかのたくさんの子達の代表として

”選抜”されていた、7人としかみえなかった。

重岡くんが松竹座の0番に立っているときは、あくまで関西Jr.のセンターとしてのはずだった。

7WESTがデビューをめざしていたころ、ライバル以外、周りには他にだれがいたというのか。ずっともやもやしていました。

 

 

結局、7WESTがすきだったんだな、このまま懐古厨になるのは心によくないと思って

神山くんの担当を降りました。

今またJr.担してるけど、神山君は知ったころには浮き沈み激しい扱いだったから降りる勇気がそのころなくて

結局デビュー日に降りたので、担当してたのは約1年半。

個人のお仕事は追っかけてたけど、グループへの抵抗感からジャニーズWESTを自分から遠ざけました。

あれほど願った神山くんのデビュー後の姿を、見続けることはできませんでした。

 

 

 

でも、彼らがDial Upを、初めての京セラドーム公演で、歌ったとききました。

クリスマスセールで死んでいたわたしへの、一番のクリスマスプレゼントでした。

DVDでたらどれより優先してお金出す!!!!!!!って決めたのを覚えています。

 

 

そしておととい、見ました。フラゲまでしちゃって。

一瞬たりとも目をそらさずに、彼ら7人を応援してきたファンへのご褒美のようなライブで

みていてとても、まぶしかったです。

 

 

 

肝心のDial Upに関しては、結論から言うとすっきりしました。

この人たち、7WESTを忘れないでいてくれたんだなって。

彼らの本当に楽しそうな笑顔がすべてだと。7WESTという言葉を出すまでに時間がかかったのんちゃんの姿が答えだと。

 

あと、忘れないでいいよって言ってくれているような気もして。

ぜんぶここにおいていっていいよって。

おこがましすぎるけど、本当に、そう感じたんです。

 

だけど、同時に、歌っている彼らは

ジャニーズWEST重岡大毅で、神山智洋で、藤井流星で、小瀧望でした。

でも、だからこそすっきりしたのかもしれない。

ただ、7WESTだった自分たちを大切にしながらそこを通過して、ジャニーズWESTになったこと、それだけは十分に伝えてくれた気がしています。

それをみたから、いままでの胸のつかえは、確実に取れた気がしています。

 

 

 

 

 

ここまで書いていて思ったけど、7WESTに関しては神山くんより重岡くんにひっかかりがあったのかもしれない。

7人でデビューするために一番奔走してくれたのが彼だったとしても、

私の中での彼は7WESTの重岡大毅で、0番に立つときは関西Jr.の重岡大毅だったからかも。

わたし、7WESTの中で笑っている彼がすごくすきだったんだろうなあ。

 

 

そんなわけで私は、ジャス民にはなれませんでした。

WESTlyのままでした。

たぶんこれからもそうです。

それくらい、7WESTというグループが好きでした。

 

懐古ヲタクの戯れ言でしかないけれど

この気持ち悪いポエムみたいな記事をネットの海に放つことで

ずっとかけなかった担降りブログの完成ということにさせてください。

 

 

 

***

 

あとひとつ思ったんですけど

CHO-EXTACYですか?あのけしからんかっこいい曲はなんですか?

タイトルのダサさ(やめなさい)とのギャップで人を殺す気ですかあの人たちは?

 

 

んー、やっぱりそういうのが関西組の醍醐味だよなー!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

おしまい